2012年11月18日
生を受けたことに感謝して。。
1963年(昭和38年)11月18日に私は産んでいただいた。。
兵庫県西宮市明和病院で生まれた。3150gの標準体重。
産まれてすぐに原因不明の左ほっぺが膨らむ難病?に、
両親は大変苦労し危惧した。
「そのままにしとき」。おばあちゃんの言葉通り、自然に膨らみは引き、
何事もなかったように普通になった。
でも、身体は丈夫な方ではなく、風邪、高熱はしょっちゅう。
小学6年生の時には腎炎を患い長期の入院となった。
随分後に聞いた話では、マイホームの計画資金を食いつぶしてしまったとの事。
その後も何不自由なく育てていただき、人生の随所随所で支え助けてもらってきた。
この世に誕生させていただいた事に感謝しかない。
お父さん、お母さん、ありがとう。
何一つ親孝行らしいこともできぬまま気が付けば40代最後の年になってしまった。
少しでも長く生きていて欲しい。
ふと思いつき、夜に父と母に会いに行った。
生まれた頃の写真アルバムを取り出し、若い父と母に大事に抱かれた自分を見る。
おばあちゃんも若い。
一人として欠くことのできない、命の連鎖が今いる自分である。
いただいた命、大切に生きてゆかねばもったいない。
「本を忘れず、末を乱さず。」・・・心して。
兵庫県西宮市明和病院で生まれた。3150gの標準体重。
産まれてすぐに原因不明の左ほっぺが膨らむ難病?に、
両親は大変苦労し危惧した。
「そのままにしとき」。おばあちゃんの言葉通り、自然に膨らみは引き、
何事もなかったように普通になった。
でも、身体は丈夫な方ではなく、風邪、高熱はしょっちゅう。
小学6年生の時には腎炎を患い長期の入院となった。
随分後に聞いた話では、マイホームの計画資金を食いつぶしてしまったとの事。
その後も何不自由なく育てていただき、人生の随所随所で支え助けてもらってきた。
この世に誕生させていただいた事に感謝しかない。
お父さん、お母さん、ありがとう。
何一つ親孝行らしいこともできぬまま気が付けば40代最後の年になってしまった。
少しでも長く生きていて欲しい。
ふと思いつき、夜に父と母に会いに行った。
生まれた頃の写真アルバムを取り出し、若い父と母に大事に抱かれた自分を見る。
おばあちゃんも若い。
一人として欠くことのできない、命の連鎖が今いる自分である。
いただいた命、大切に生きてゆかねばもったいない。
「本を忘れず、末を乱さず。」・・・心して。
