心のゴミを捨てる・・・

マツザキ@湖岸のほとり

2007年08月23日 22:46

今日、マクドナルドでお店の人にちょっと文句を言った後、とある方に会った。
色々話して、鞄からコピーを一枚取り出して、私に渡してくれた。
何かの書籍の見開き2ページ分のコピーだ。

ところどころ線が引かれ、丸で大切な所とおぼしき部分が囲ってある。
空白部分には手書きでメモ書きもなにやら。。。


他人を非難したい思いから抜け出すヒント

捨て去る自由があることを知れば心は軽くなる

洋服ダンスの薄暗い隅にあった余分な衣類や、忘れ去られて埃まみれで
物置の棚に積んであった不要物を整理する。
そして、必要なものと美的感覚に合うものだけを残して、余分なものや
美しくないものを思い切って捨ててみよう。
すると、スッキリしたすばらしい気分になるはずだ。
家にあったすべてのガラクタを車に詰め込んで、粗大ゴミ処理場へ
持っていく。捨てる場所があること、それ自体が天からの贈り物だと
いえるのではないか。窮屈になった上着、欠けたコップ、壊れた電灯、
使い古した椅子、へこんでしまったベッド、マットレス・・・・・
そんなものを一生とっておかなければならないのだろうか?
そんなことはないワケで、余計なもの、もう使わないものを処分してみよう。
ガラクタが無くなった住まいは、安堵のため息をついているはずだ。

“片づけること”がいい結果を生むのは、家という自分の外側のこと
だけだろうか?ときどき、私たちは自分の心のなかを整理する必要も
あるのだ。何年、何十年にもわたって溜め込んだ心のゴミともいえる
ようなものが、貴重品の隣に山積みされていたりする。
過去のさまざまな場面、イヤな体験、価値判断、自分をしばって
しまうような過去の教えなどが、心を占領しているのだ。
精神的な問題がとても重要な今の時代、こんなことではあなたの
心が居心地いいわけはないのである。だから、胸のなかのガラクタ
を処分しようではないか。
その方法としては、「私は今日、過去と決別する。新たな体験と
新しい意識を心に刻むために」と自分に言ってやることなのだ。
それには、先入観を捨てること。心が不用なゴミでいっぱいだと、
人生そのものを妨げることにもなってしまう。
そしてついでに、長年心をまどわせていた心配ごとも、捨て去ろう
ではないか。

心のゴミがもっともできやすいのは、他人を非難するときである。
かといって非難したい気持ちを放棄するのは、最高に難しいことだ。
でもその価値はあるのだ!
心のゴミが捨てられて空になると、喜びが湧いてくるだろう。
なぜって、あなたの魂は、あなたが再び自由に苦労なく動き回れ
るという、このうえない楽しみを待っているのだから。
(「シンプル・シンキング 単純に生きる100のヒント—
不要なもの、よけいな考えを捨てれば人生はラクになる 」より)


コピーの空いた所に
「心のゴミ・・・1 うらみ 2 つらみ 3 ひがみ 4 そねみ 5 ねたみ」 と
書いてくださっていた。

ほんの一時間ほど前に、マクドナルドで文句を言っていた自分にとって、
大変恥ずかしい文章である。
おまけに家にも仕事にも、いらぬであろう資料、ガラクタがいっぱい^^;

偶然とはいえ、どえらいタイミングで示唆を頂戴した。
心のゴミの捨て方も・・・。

感謝m(__)m

 

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